服装の歴史(当研究所復元製作)
古墳時代
(5、6世紀頃 上流階級)
女子 衣・裙(衣・裳)
飛鳥時代後期
貴族女子 朝服姿
(朝廷出仕の時に着用する服)
高松塚古墳壁画女子像からの復元
奈良時代
貴族男子 朝服姿 文官
正倉院宝物など文献に基づいて復元
奈良時代
衣・褌に頭巾をつけた姿
(8世紀の防人の一般的な服装)
奈良時代
貴族女子 朝服姿(高位の女性)
(背子を着用した姿)
平安時代後期
(昼の装束)
貴族男子
束帯 文官
(冬の料) (勅授帯剣)
平安時代後期
(昼の装束)
男子
束帯 武官 (夏の料)
平安時代後期
(
褻の装束
)
貴族男子
直衣姿 (夏の料)
(冠直衣)
男子の私服で、日常着。直衣とは袍の一種で、気持ちを直した衣の意。
平安時代後期
貴族女子
女房装束 (俗称十二単)
女房装束は公家女子の正装であり、朝廷出仕の女官で部屋を与えられた高位の者の服装です。
平安時代後期
貴族女子
袿、袴姿(夏の料)
夏季に着用した、生固織物の
袿です
。
鎌倉時代
武家女子
袿、袴姿
武家女子で位の高い者は公家の褻の装束に習い、女房装束に準じた服装をしていました。袿袴姿とは女房装束から「唐衣」と「裳」を省いた略装で、
「白小袖」を着け
「袴」をはき、「単」の上に数領の「袿」を襲ねたものです。
鎌倉時代
武家男子 直垂姿
(武士の礼服としての直垂姿)
鎌倉時代中期以後は、水干に代わって武家の服装を代表するものとなりました。
鎌倉
~室町時代
武家男子 狩装束姿
桃山時代
腰巻姿
桃山時代
摺箔小袖姿(桃山小袖)
(上級武家女子着用)
身幅が広く、袖幅が狭い形態です。
江戸時代中期
疋田絞小袖姿
(町人女子着用)
江戸時代末期 (深曽木)着袴の儀
童形服 半尻姿 復元