明治、大正、昭和の髙田家 業績
昭和4年 伊勢神宮式年御遷宮御神宝装束、調度の製作
髙田義男は御遷宮に先立ち内務省および神宮司庁より大正12年皇大神宮別宮倭姫御鎮座に際し、殿内装飾ならびに御神宝類、奉仕員の装束一切を御下命、調進しました。
その後昭和4年に神宮式年御遷宮に際し、皇大神宮ならびに豊受大神宮の正遷宮に祭器儀式品を造神宮司庁より御神宝類、諸祭儀奉仕員の装束一切を御下命、調進しました。伊勢神宮御神宝の調進に当って井上清氏を監督者として、髙田義男は同氏の御指示に従い臨みました。
髙田義男としては二十年ごとに新調して納めるのであるから、ただ前回のものを踏襲して同じ物を製作すれば良いというものではなく、その当時の国力と文化を発揮して、また上代からの記録を研究して、より良いものを製作すべきであると思い、そのことにより工芸家の刺激にもなり文化向上の途ともなるという考えでありました。
昭和4年当時、造神宮司庁御神宝係の御担当者も同意見であり、前回よりも豪華で美しいものを製作し、後世に残しても恥ずかしくないものを作るようにと御用を頂戴しました。
髙田義男は事前に色々と研究を進めており、織物では経糸錦、染物では夾纈染、工芸品では平文塗等はすでに試作していました。染物は植物染料を用いることになっており、その頃すでに植物染料の研究が進んでいたため製作再興することができました。
御神衣中に夾纈染の御衣があり、昭和2年より研究をしていたため、昭和4年の御遷宮には完全に復活させ、奉任することができました。
その他、ほんらい文羅をもって製作すべきもの、また元々銀平文を用いる記録になっているものが、途中から銀蒔絵になっていたため、それら等を元に戻しました。
上記のような研究、復元試作を事前に行っていたため、紋綾、紋羅等、たくさんのものを昭和4年にご注文いただきました。
伊勢の神宮徴古館には歴代の御神宝の撤下品(二十年が過ぎてお役目が終り、神前からのお下がり品)が保存されており、それらを拝見すれば時代時代の文化の水準と国力が一目瞭然です。